こんにちは、すいみーです。今回は、以前結婚願望皆無だった私が結婚した理由:前編で書いた、”子どもが欲しくなかった”ということについて、掘り下げて綴ろうと思います。
子どもを”持てない”のではなく、”持たない”
私たちは夫婦は、いぬぬとすいみーそれぞれが子どもを持たないことを希望している、”選択子なし夫婦”です。最近ではそれなりに聞かれるようになった言葉かと思いますが、まだまだ認知度は低いと思っています。ちなみに、これは子どもが欲しいけど産めない、恵まれなかったといったものではなく、あくまでも産まない選択であるという前提があります。また、似たような言葉に”DINKs”というものがあります。このDINKsは<Double Income No Kids(共働きで子どもを持たない)>の頭文字を取ったものです。
私も一応働いてるのでDINKsと名乗れなくもない気がするのですが、パートだし何より家計を支えてくれているのはいぬぬなので、選択子なしと自称しています。
選択子なしを選んだ理由
まだまだマイノリティな価値観な気もしますが、私たちがそうである理由をここにまとめていきたいと思います。すいみーに関しては「今まで子どもを欲しいと思ったことがない」ので、それで完結してしまう気もするのですが、年齢を重ねれば重ねるほど「〇〇だからやっぱり子どもは欲しくないぁ」と思う部分も増えたので、後付けの理由になるのかもしれません。
心身ともに丈夫ではない
私は体も精神もそれほど丈夫ではないので、妊娠・産後すら自分が無事でいられる自信がありません。子どもを持つにあたってはまず妊娠が一つの大きなイベントですよね。妊娠すると見た目だけではなく、つわり(悪阻)で辛くなったり、妊娠性の高血圧や糖尿病に罹る可能性も高くなったり、妊娠期特有の体の変化が起こります。加えてホルモンバランスの影響でマタニティブルーなどと言われる精神的に不安定な状況が起こる可能性があります。さらに私は頭痛持ちで疲労や気圧や理由が特に思い当たらない日ですらよく頭痛を起こすので鎮痛剤が手放せません。妊娠前や妊娠中は赤ちゃんへの影響を考えて使用できなくなる薬が増えるので、こういったことも耐えられないと思う理由のひとつです。
また、出産経験者さんがよく言うことですが、大変な日々は子どもが生まれてから始まります。生まれてからは赤ちゃんのお世話のため数時間ごとに授乳したり、おむつを替えたりして自分がまとまった時間睡眠を取ることは不可能になります。子どもが大きくなれば今度は目に映る様々なものに興味を持ち、危ないものまで口に入れてしまうなどの危険が付きまといます。心配になれば休む時間がほとんど取れなくなるのは目に見えています。加えて通常の家事もこなさなければなりません。これが実家の援助があればまた話は別なのでしょうが、今の実家とはほぼ遠い地で生活している状況から、援助はほぼ受けられないとみています。いぬぬは普段積極的に家事をやってくれますし、子育ても手伝ってくれそうですが、子育てするとなると収入源がいぬぬしかなくなるので仕事は止めるわけにいかず育児の時間は限られます。自分が妊娠してから産後1年の育休が取れる期間はワンオペであることが確定していると思っています。そんな状況と産後のホルモンバランスの変化も重なり精神的に追い詰められ、産後うつになるもの必然です。
今の子どもがいない生活ですら仕事のストレスで眠れなくなったり、休日は存分に寝ても疲れが取れなかったり、そんな生活なのに子育てに耐えられるとは思えません。
金銭的な不安がある
「子どもが生まれてから成人まで平均2000万円かかる」と言われています。我が家の貯金額は到底2000万円に届きませんし、収入も平凡です。学習保険に入ったり給料の一部を積み立てたり、投資をしたり…お金を増やす方法は今の時代たくさんありますが、私たち夫婦は”先に2000万円を確保しないと心配で仕方がない”と考えるタイプです。特にいぬぬはそうです。どんなに大きい買い物でも支払い方法に制限でもない限りキャッシュで払います。クレジットカードに頼らず、その場で買えない買い物はしないタイプなのです(実際家計管理もいぬぬがやっています。感謝しかない…)。
そして一番心配なのは、イレギュラーな事態が起こった場合です。例えば、子どもが病気になってしまったら・治療が難しい難病になってしまったら、私立の学校に通うことになったら、大学院に進むことになったら…こういうことがあった場合、平均2000万円の枠に収まらなくなってきます。特に子どもが病気になってしまった場合、子どもの看護のために働く時間は確実に削られます。収入が減れば生活は追い詰められます。また、私の両親がよく喧嘩するようになったのは、地域の事情でやむを得ず私と姉の2人を私立の学校に通わせることになった時期と一致します。結局何をするにもお金って大事で、ここが壊れれば家族関係も崩壊すると思っています。私と同じような生活環境を負わせるリスクを踏んでまで、新しい命を増やそうとは思えません。何かがきっかけで巨万の富を獲得したら、その時初めて子どもを持つかどうか考えるかもしれない、と思います。
人間関係が広がりすぎる
これは私個人の懸念事項なのですが、子どもが保育園や幼稚園や小学校に入るようになったら子どもにも人間関係が生まれますよね。それにつられて母親も、いわゆるママ友ができるようになります。私はもともと他者とのコミュニケーションで疲れるタイプで、加えて広く浅くといった関係を作れないので、ママ友などの人間関係の広がりがものすごく恐ろしく感じてしまうのです。子どもが友達と遊びたいと言えば自分が嫌でも子どもの自主性を尊重したいですが、自分に合わないことをするのって苦痛です。特に過去の経験から女同士の関係性って泥沼になりがちなので、子ども同士は仲良しなのにママ友との仲がよくないパターンを踏んでしまうと最悪ですよね。ドラマの見過ぎかもしれませんが、子どもの進学先マウント合戦なんか目も当てられないです。最近知りましたが、妊活界隈でも同級生より早く妊娠したいとかできなかったとかいうのを目撃して、「わざわざこんな世界に行きたくない…!」と思ってしまいました。女って怖い。
”普通”に育てられる自信がない
一般的に、子どもは大学か専門学校卒業まで育てて、就職したら自立して…という流れがあると思います。私たち夫婦は、自分の子どもがこの一般的な段階を踏んで成長するのは当たり前ではないと思っています。子どもが犯罪者になってしまう可能性もゼロではないし、引きこもりになって”子ども部屋おじさん・おばさん”になってしまう可能性もあります。きっかけはどこにでもあると思います。子ども本人の挫折であったり、親がこれで良かれと思っていた教育方針が子どもにとって苦痛であったり…。普通に育てる・育つって、ものすごくハードルが高いと思います。親はよく「こういう子に育てたい」「こういう風に育てる」と希望を持ち教育しますが、子どもは親がコントロール可能な所有物ではありません。一人の人間です。何に影響され、どう育つかは、誰から見ても未知数なのです。子どもが犯罪者になったとき、相手や社会にどう責任を取るのか。引きこもりになってしまった時に、私たちが死んで収入がなくなってもその子が今まで通りに生き続けられるのか。私たちには、その未知のリスクを背負う度量がないのです。
少し論点がずれますが、この考え方は選択子なしさんがよく聞かれるという「自分の老後の面倒は誰に見てもらうの?」への回答でもあります。子どもがいてもいなくても、自分たちの老後は自分たち自身で見る。医療や福祉が発達している時代なのに、自分たちの都合で産んだ子どもにそれを押し付けるのは何か違うと思います。
まとめ
「案ずるより産むが易し」という言葉がありますが、命に係わることに関してはこれは通用しないと思っています。あらゆるリスクを想定して、すべてクリアできるなら子どもが欲しいと思えるのかもしれませんが、産んでから一度でも「産んで後悔した」と親が思ってしまったら、生まれた子どもはどう思うでしょうか。私たちは、この考え方が変わらない限り、子どもを欲しいと思うことはないと思います。
私はいぬぬという素敵なパートナーに出会えて、一緒に居られて幸せです。これからも2人でこの幸せを守っていきたいと思っているのですが、こんなに幸せでいられるのは、自分たちの幸せに全力を注げるからではないかと思っています。子どもがいて更に幸せなご夫婦もいらっしゃるのかもしれませんが、私たちは「子どもがいればもっと幸せになるね」とは思いません。お互いに、夫婦2人の生活を貫きたいと思っているのです。